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2021.08.30  おかえりモネの森

伝統文化を受け継ぐ、木と人々

『おかえりモネ』、登米編の中でしばしば登場した、森の能舞台。サヤカさんが笛を吹き佐々木課長が舞う姿が印象的で、舞台の改修を目的に樹齢300年のヒバを伐採したシーンは圧巻でした。そして、やがては能舞台の「柱」となるヒバを50年乾燥保存する場所をみんなで探す、そんな場面もありましたね。このような伝統文化を支える木と受け継がれる人々の知恵に、今回は注目してみましょう。

300年を超えて受け継がれる「登米能」

番組に登場した森の能舞台は、登米市登米町「伝統芸能伝承館 森舞台」として現存するものです。設計を手がけたのはあの建築家 隈研吾氏。「風を感じたり、光を感じたり、自然を感じながら、“自然と一体となった場所で能は表現されるもの”」とのコンセプトに基づき1996年に完成しました。翌年、隈研吾氏は、この木造建築により日本建築学会賞に輝いています。

伝統芸能伝承館 「森舞台」
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そもそも「登米能」は、仙台藩祖・伊達政宗公が能を愛したことから盛んになりました。もとは公的な儀式での芸能だった能が、やがて庶民に浸透し、地域に根付いて、令和の今まで約300年にわたり続いてきたのです。

演じるのはプロの能楽師ではありません。地元の有志、老若男女の人々です。アマチュアだけで演能できるのは、宮城県内唯一!平成10年には宮城県無形民俗文化財に指定されました。 『おかえりモネ』では樹齢300年のヒバが伐り倒され、柱となる木材は50年後まで大切に保管されるという設定でしたが、実際の森舞台も柱は地元産のヒバを用い、屋根は登米町特産の天然スレート葺きなど、地元産の素材が多用されています。

檜舞台の由来、木づかいに込められた知恵

一般に、能の舞台はヒノキでつくられていることが多く、江戸時代にはヒノキの舞台が許されていたのは能楽や歌舞伎など幕府公認の劇場だけだったそうです。立派な大舞台や一流の劇場を「檜舞台」と呼ぶようになったのはここに由来すると言われています。

ヒノキの能舞台、その特徴となっている木の使い方にも古来の知恵が凝縮されています。それは何かというと、能舞台では一般的な建物で仕上げ面に使う滑らかで木目が美しい「木表」(丸太を製材する際に樹皮に近い方)を表面にせず、「木裏」(芯に近い方)を表面に使うという点です。

理由はなぜか。基本的に板材は、木表側の「収縮率」が木裏の2倍なので、使っているうちに木表側に反ってきて、木裏側に膨らみが出ます。能舞台で木裏側がかまぼこ状に膨らむと、役者が足を踏み鳴した時に音響効果が良くなると考えられているのです。また、木裏は木目が逆立つためにスベリにくくなるとも言われています。

こんなところにも伝え継がれた知恵が反映されているのですね。

能や歌舞伎、日本舞踊、謡曲などの舞台。茶室、道場などの場。そして日本家屋、神社仏閣などの建築・・・伝統文化に触れる機会があれば、そこにどんな風に「木」が使われているか、目を向けてみるのも一興です。

取材協力:竹中 雅治(登米町森林組合)

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