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林業の町・長野県上松町
自然から学ぶ、地域の歴史とは。

2時間かけて歩いたのは、赤沢森林鉄道沿いの“ふれあいの道”から、駒鳥コースエリアにある「昭和60年の御神木伐採跡地」を寄り道するというオリジナルコース。

森林セラピー体験ということで、風や川の心地良い音を聴いたり、清々しい空気を肺いっぱいに吸い込んだり。自然に想いを馳せながら、精一杯リラックスする時間を過ごすことが出来ましたが、赤沢自然休養林の魅力はそれらだけではなかったのです。 “ふれあいの道“のコース沿いにしばらく続くのは、赤沢森林鉄道の線路です。森林鉄道は1960年代初期に木曽地域で林業が盛んだった頃、木材の運送手段として活躍していました。

木材運搬で活躍する、赤沢森林鉄道

元々、木材は川の水流に乗せて、上流から河口へと運ばれていたそうです。川の流れを堰き止めて溜めてから放流することで、運搬する。何百kg以上あるものを自然に任せて運搬していく当時の様子は、赤沢セラピー体験館に写真として展示されています。過酷そうな環境で一生懸命勤める方々の姿がとても印象的です。

当時の木材運搬屋の様子

木曽森林鉄道は、山間部で暮らす人々や、そこへの物流にも欠かせないものとなっていったのだとか。1975年に高度経済成長期を迎えると、軌道を必要としないトラックへと運送手段が変化し、木曽森林鉄道も国内最後まで運行したものの、廃線が決まり役目を終えてしまいました。

しかし、再び光が当たる時が来るのです。それが、1985年に赤沢自然休養林で開催された「伊勢神宮御用材伐採」でした。

20年に一度社殿が建て替えられる伊勢神宮では、その建て替えに天然ヒノキが使われています。神の宿る御神体を安置する特別な木なので「欠点のない、真っ直ぐで太く立派な木」が求められる中、第61回式年遷宮行事で赤沢自然休養林内の木が選ばれたのです。

1985年に行われた、御杣始祭における御神木の伐採の様子

現在でも残されている御神木の丸太の断面を覗くと、その木が見てきた年月の長さを思い知らされます。密に重ねられた年輪が、両手を伸ばしても囲めないほど大きくなっているのです。

横へと伸びる根からは、“御神木”として伐られた威厳でも示すかのような力強さを感じました。しめ縄をかけられた大きな丸太は、赤沢の地を守る神々のように佇んでいます。

大勢の前で御神木を伐採する行事の様子は、テレビの中継で全国へと発信され、赤沢自然休養林内の様子もとい、御用材を運ぶ森林鉄道の姿も映し出されたのだそう。廃線後、保存を目的に敷設された軌道の上を走る森林鉄道は、とても珍しいものだったのでしょう。

赤沢森林鉄道で運搬される、伐採後の御神木

全国からの注目をきっかけに、赤沢森林鉄道は、観光客を休養林へと案内する列車として運行を再開しました。今では新緑から紅葉の季節まで、赤沢の自然を鉄道から見るプログラムは大変人気なものとなっているそうです。

赤沢森林鉄道から覗く、車窓の様子

木曽地域には森林鉄道を始め、林業と歩んできた長い歴史がありました。日本森林学会が定める林業遺産には森林鉄道の他にも、旧木曽山林高等学校だった「木曽山林資料館」や、皇室財産となっていた木曽五木を守る支局の役目を持っていた「御料館」が選ばれています。

代表的なヒノキやサワラ、ネズコ、アスナロ、コウヤマキの木曽五木など、豊かな森林が地域の面積の9割を占める木曽地域。自然と共存しながら土地を守ってきた先代の歴史を、“林業”という視点から見ていく旅は、斬新で面白いのではないでしょうか。

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